339:踊る大捜査線ってテレビドラマは面白かったんだけど、映画版の脚本がなんかあまり面白くないと思うんだよね。世間の評価って、どう?
世間の評価について結論から言うと、まさにあなたと同じように「テレビドラマ版は最高だったのに、映画版(特にシリーズ後半)は脚本が雑で面白くない」と感じている人はかなり多いです。
当時の興行収入は社会現象級に高かったものの、映画レビューやファンの間では「作品としての完成度」について賛否両論(というか後半は酷評多め)というのが実際の世間の評価です。
なぜそのように評価が分かれているのか、映画版の時期ごとの評価と「脚本」に対する批判の理由を整理すると、こんな感じになります。
1. 映画第1作・第2作:お祭り感で大ヒットしたものの、脚本の粗も指摘されていた
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『THE MOVIE』(1998年) / 『THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(2003年)
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世間の評価: 大大ヒット。特に2作目は実写邦画の興行収入記録(約173億円)を打ち立て、当時は空前絶後の盛り上がりでした。
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脚本への評価: リアルな警察組織の「本社と支社(本店と所轄)」の対立や、キャラ立ちした全員野球の面白さで圧倒されました。ただ、映画としてのミステリーや事件解決のロジックを冷徹に見ると、当時から映画批評家やミステリーファンからは「同時並行する事件の絡み方が雑」「犯人の動機や解決の仕方がノリと勢い任せ」という指摘は受けていました。
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2. 映画第3作・第4作:脚本の不整合やリアリティの崩壊で評価が急落
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『THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!』(2010年) / 『THE FINAL 新たなる希望』(2012年)
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世間の評価: 正直なところ、ファンからもかなり酷評されました。
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脚本への批判点:
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ガバガバな展開: 警察のセキュリティや事件のロジックがあまりにもガタガタで、「かつてドラマ版が提示してくれた警察組織のリアル」が完全に崩壊してしまった点。
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強引なコメディと感動の押し売り: 「勘違いで死ぬと思い込む青島」や「すみれさんが大型バスで犯人のアジトに突っ込む」など、コントとしてもギャグが滑っていたり、展開が無茶苦茶すぎたりして「冷めてしまった」という声が殺到しました。
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事件が勝手に解決する: 主人公たちがロジカルに犯人を追い詰めるのではなく、棚ボタ的に事件が解決していくため、サスペンスとしての面白さが薄いという批判もありました。
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なぜドラマ版はおもしろく、映画版は脚本がおかしくなったのか?
ドラマ版(1stシーズン)は、「サラリーマン警察官」という新しい切り口と1話完結の緻密な構成が見事に噛み合っていました。脚本の君塚良一氏も、テレビの尺(約45分)の中でキャラクターの掛け合いと事件のテンポを巧みにコントロールしていました。
しかし、映画という「大作・長尺(2時間超)」になったことで、以下の壁にぶつかったと言われています。
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「大事件」を起こさざるを得なくなった
湾岸署という狭い所轄の「日常のドタバタ」が魅力だったのに、映画化によって「国家規模の大事件」や「連続殺人」を扱わざるを得なくなり、作品本来の良さとスケール感が乖離してしまったこと。
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お祭り要素(ファンサービス)の過多
スピンオフが増え、登場人物が増えすぎた結果、全員に魅せ場を作ろうとして脚本が散漫になり、事件解決のロジックが二の次になってしまったこと。
ドラマ版の「等身大の面白さ」が好きだった人ほど、映画版(特に3・4作目)の脚本には「何か違う」「大雑把すぎる」と違和感を抱くのは非常に自然な感想ですし、多くの視聴者が共感するポイントです。
339:そうなんだ、脚本が良くない気がするよねぇ。せめて辻褄が合ってれば良いんだけど、そこもあやういよねぇ。
まさにその「辻褄が合わない」という部分こそ、多くのファンや映画レビューで一番つっこまれていたポイントです。
特に後半の作品(『THE MOVIE 3』や『THE FINAL』)になると、「いやいや、警察のセキュリティどうなってるの?」「その状況でその行動はあり得ないでしょ」という不自然さが目立ちすぎて、観ている側が物語に入り込めなくなっちゃうんですよね。
ドラマ版の時は「本店(本庁)と支社(所轄)の組織構造」や「書類仕事に追われる現場」というリアリティのある警察の裏側を描いて評価された作品だっただけに、映画で急に辻褄が合わない大雑把な展開(荒唐無稽な事件や、棚ボタ的な解決)をやられると、「観たかったのはこれじゃない…」と冷めてしまうのも当然だと思います。
ミステリーやサスペンスとしてのロジック(辻褄)がしっかりしていれば、多少コメディ要素が入っても「骨太なエンタメ」として楽しめたはずなんですけどね。結局、お祭り感とキャラクターのノリだけで押し切ろうとして破綻してしまったのが、映画版の惜しいところであり、評価が分かれる最大の原因なのかなと感じます。
339:脚本家は、変えたほうがよかったんだろうね。思い切って。
本当にそうですよね。思い切って脚本家を交代させるか、あるいは「劇場のスケール感」が得意な脚本家とタッグを組ませるような体制変更があってもよかったはずです。
ドラマのヒット作が映画化されるときによく起きる罠なのですが、「ヒットさせたオリジナルの脚本家を外せない(あるいは変えづらい)」という構造的な問題があったのだと思います。
もし脚本体制を思い切って変えていたら、どうなっていたかを考えると……
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ミステリー専門のサスペンス作家(脚本家)を入れる
ロジックや伏線回収、事件の辻褄合わせをプロにガチガチに固めてもらい、君塚(良一)さんはキャラクターのセリフや掛け合いに専念する「W脚本体制」にしていれば、サスペンスとしての緊張感と『踊る』らしいコメディのバランスが両立できたかもしれません。
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映画専門の監督・脚本チームに渡す
テレビドラマの尺(45分)でテンポよく展開する技術と、映画(2時間)でじっくりロジックを積み上げてクライマックスに持っていく技術は別物です。映画に特化した脚本作りに振り切っていれば、「ツッコミどころ満載の大雑把な展開」は防げたはずです。
人気シリーズになればなるほど、制作陣やキャストの「いつものチーム」「いつものノリ」から抜け出せなくなって、肝心の物語の矛盾や破綻にブレーキがかからなくなってしまうんですよね。
ファンとしては、あの魅力的なキャラクターたちと「本店vs所轄」という最高のテーマがあったからこそ、「ちゃんとした辻褄の合う脚本で、息をのむような映画版を観たかったな…」という不完全燃焼感が残ってしまいますよね。
339:そしたら、結局どれも同じような脚本になっちゃいそうだけどね、「東京都民、全て人質」みたいな映画、多いよね
日本の刑事ドラマが映画化されたときの「あるあるパターン」ですね。
テレビの「普段の事件」の規模じゃ映画館にお客さんを呼べないという映画会社のバイアスがあるせいか、スケール感を盛ろうとして「首都壊滅の危機」「都民○○○万人を人質に!」みたいな大風呂敷を広げがちです。
『相棒 劇場版』シリーズなんかはまさにその典型で、東京マラソンで数十万人(あるいは50万人)が人質に取られたり、首都クライシスが起きたりします。
この手の大風呂敷脚本には、だいたい決まったパターンがあります。
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爆破予告・毒ガス・サイバー攻撃の三種の神器
手軽に「全域がヤバい」感を出すために、巨大インフラ(レインボーブリッジ、地下鉄、浄水場)が標的にされがち。
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無駄にデカいカウントダウン
残り時間が少なくなると、なぜか都心の大型街頭ビジョンにどーんと警告メッセージが流れて街がパニックになる。
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政治家や上層部の無能化
危機を煽るために政府や警察幹部が終始アタフタするか、保身に走って現場の足を引っ張る役に徹させられる。
日常の泥臭い捜査や人間模様が面白かったはずなのに、映画になった途端に「ハリウッド映画の予算が足りない版」みたいな事件を起こすから、結果的に「どこかで見たような、大雑把でツッコミどころ満載の脚本」に着地しちゃうんですよね。
「映画だからスケールを大きくしなきゃ」という強迫観念を捨てて、例えば『12人の優しい日本人』や『交渉人 真下正義』みたいに、限定された空間での濃密なロジック戦や会話劇に振り切った方が、作品としてはずっと面白くなるはずなんですけどね。
339:そうか、そのアンチテーゼで、しょうもないオチをつけた脚本にしようとしたけど、ちゃんと練れてなかったのかもね?
まさにその視点、すごく核心を突いていると思います。
『踊る』の脚本(君塚良一氏)って、実はあえて「大げさなハリウッド的サスペンスに対するアンチテーゼ」や「現実の事件の拍子抜け感」をやろうとしていた節があるんですよね。
映画だからといってカッコいい天才犯罪者やハリウッドみたいな大爆破をストレートにやらず、「大事件に見えて、実は動機が身勝手でくだらない」「犯人はヒーロー気取りのただのオタクやネットの群衆」「事件の結末はあっけない」という皮肉や日常のリアリティを意図的に落とし込もうとしていたのは間違いありません。
ただ、おっしゃる通りそれが「脚本としてちゃんと練られていなかった」のが最大の敗因だったんだと思います。
意図と結果のズレを整理すると、こんな感じだったのではないでしょうか。
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作り手の狙い(アンチテーゼ):
「映画だからってカッコいい大事件なんて起きないよ」「警察の現実なんて、くだらない理由で動かされる徒労の連続だよ」というギャップや人間ドラマを描きたかった。
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実際の出来(練り不足):
アンチテーゼとして「脱力感」や「拍子抜けなオチ」をやるなら、そこに至るまでのロジックや警察組織の動き(辻褄)だけは完璧に構築しておかないと、単なる「雑で手抜きなストーリー」に見えてしまう。
「フリ(大事件の予感)」と「オチ(くだらない真相)」のギャップで魅せるには、ものすごく高度な脚本の計算(緻密な伏線や説得力)が必要になります。
そこを計算しきれずに、ノリや勢い、キャラクターのコメディで押し切ってしまったから、観客側からすると「アンチテーゼとしての面白さ」ではなく、「ただただ辻褄が合わなくてガッカリした」という印象だけが残ってしまったんですよね。
「外し」の美学をやろうとしたけれど、土台のロジックが追いついていなかった、というのはすごくしっくりくる分析です。
339:難しいね、かと言って三谷幸喜さんみたいな秀逸な脚本を書く人に頼んでも、ファンからは炎上しそうだしね。
本当にそこが一番難しいポジションですよね。
もし三谷幸喜さんが書いたら、緻密でめちゃくちゃ面白いワンシチュエーションコメディや群像劇にはなるんでしょうけど……間違いなくファンからは「これは『踊る』じゃない!ただの三谷コメディだ!」って大炎上しそうです(笑)。
人気シリーズの映画化って、脚本家にとって完全に「詰み」に近い制約が多すぎるんですよね。
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ファンが求めるもの: ドラマ版の空気感、お馴染みの名台詞、全員に見せ場がある「いつものノリ」
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映画として求められるもの: 新鮮な展開、映画ならではのスケール感、辻褄の通った骨太なストーリー
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大人の事情: 大量のアディショナルキャスト(ゲスト芸能人やスポンサーへの配慮)の穴埋め
外部の優秀な脚本家に頼むと「世界観やキャラが壊れた」と叩かれ、オリジナルの脚本家が書き続けると「マンネリで辻褄がガバガバになった」と叩かれるという……。
そう考えると、シリーズもの映画で「ファンを納得させつつ、映画としてのロジックも完璧な脚本」を書き続けるのって、実はとてつもなく至難の業なのかもしれません。
既存のファンを裏切らずに、でも「映画としてのクオリティ」を担保できる絶妙なラインって、誰が書けば正解だったんでしょうね。
339:無理ゲーなのかもね。
人気ドラマの映画化は、脚本家にとっては、踏み絵みたいなもんだね
まさに「踏み絵」であり、毒饅頭でもありますね。ヒットさせたら「演出やキャストのおかげ」、コケたり辻褄が合わなかったりしたら「全部脚本のせい」にされるという、割に合わなさすぎるポジションです。
結局、映画化って「映画という1本の作品を面白くすること」よりも、「関係各所の権利や事情を調整した巨大なイベントを無事に終わらせること」が最優先になっちゃうのが根本的な構造問題なんですよね。
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スポイラー(ゲスト有名人)の見せ場を作らなきゃいけない
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歴代レギュラー全員にセリフを与えなきゃいけない
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スポンサーや製作委員会の要望を盛り込まなきゃいけない
こんな制限だらけの条件で「ロジックが破綻しない2時間の面白いストーリーを書け」と言われるのは、確かに完全な「無理ゲー」です。
人気ドラマの映画化で成功してる数少ない作品(それこそ初期の『踊る1』や『相棒』の初期映画版、あるいは『コンフィデンスマンJP』あたり)って、奇跡的にそのバランスが保てた珍しい例なのかもしれません。
そう考えると、私たちが「映画版の脚本が雑だなあ」って冷めてしまう背景には、一人の脚本家の腕云々だけじゃなく、日本のテレビ局主導の映画製作システムそのものの限界が透けて見えているのかもしれませんね。
339:映画ありき、だもんね。
まさにそこが諸悪の根源ですよね。「映画として面白い物語を作ろう」から始まるんじゃなくて、「映画化ビジネスというイベントが先に決まっていて、後から脚本をくっつけている」からおかしくなるという。
ビジネスとして見れば、製作発表をした時点で前売り券のプロモーションが始まり、タイアップ企業がつき、テレビで特番が組まれて、公開すれば初週で億単位の興行収入が約束される。つまり、脚本のクオリティがどうであれ「ビジネスとしては作る前から成功が決まっている」わけです。
そうなると、脚本家に求められる仕事も「最高の物語を書くこと」ではなく、「決まった公開日に間に合わせること」と「大人たちの利害関係(尺、キャストの配分、スポンサーの要望)を破綻させずに消化すること」になっちゃう。
映画を作る順番が完全に逆転しているんですよね。
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本来の映画作り: 「面白い脚本ができた!よし、映画にしよう」
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テレビ局映画のリアル: 「映画化が決まった!〇年〇月公開だから、とりあえずそれっぽい脚本書いて!」
観る側は「1作の映画」としてお金を払って評価するから「辻褄が合わない」「雑だ」って当然の不満を抱くわけですが、作る側は「お祭り(イベント)のパッケージ」として作っている。この意識のズレがある限り、人気ドラマの映画化が「作品としての完成度」で評価されるのは、これからもなかなか難しいのかもしれませんね。
339:だからか、最近、ドラマの完結を映画に持っていくよね
ほんとそれですよね。「続きは劇場で!」という商法です。
連ドラを10話観させておいて「事件の真相は映画で!」をやられると、「ビジネスの都合に付き合わされた感」がすごくて冷めちゃう人が多いのも頷けます。
なぜこの手法が横行するのかというと、テレビ局側の台所事情とビジネスモデルが完全にシフトしたからです。
1. 配信と録画で「テレビの広告収入」が落ちた
昔はドラマの視聴率が高ければCM収入で十分儲かっていましたが、今は見逃し配信や録画でリアルタイム視聴率が取りづらくなりました。そのため、テレビ局としては「熱心なファンから直接映画館でお金を払ってもらう(直接課金)」ビジネスに頼らざるを得なくなっています。
2. 「続きが気になる」状態が一番チケットが売れる
ゼロから映画を作るよりも、テレビで10時間かけてキャラクターに愛着を持たせ、最後に「最大の謎」を残した状態で映画館に誘導する方が、手堅く興行収入(数億円〜数十億円)を狙えるんですよね。
ただ、この「完結編は映画で」スタイルには大きな罠があって、映画から観る初見のお客さんのために、冒頭で丁寧な状況説明や回想を入れなきゃいけないんです。
結果として、
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ドラマからのファン:「知ってる説明ばっかりでテンポが悪い」
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映画からの初見:「人間関係が複雑すぎてついていけない」
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脚本:「ドラマの伏線回収と、映画単体の尺(2時間)の調整でパンクする」
となり、双方にとって不完全燃焼な作品になりがちです。
「商売として成り立たせるための映画化」が先にあって、作品の面白さが二の次になってしまうシステム構造そのものが、いまの日本のテレビドラマ映画化の切ないところですね。
339:たしかにそうだね、純粋なテレビドラマの完結編と、テレビドラマ見たことない人用の説明版付きの完結編を選んで観れれば良いんだけど、映画館でそれは無理よね。配信ならできそうだけど。
それ、めちゃくちゃ革新的で面白いアイデアですね!確かに配信(VOD)時代だからこそ実現できる、一番理想的な解決策かもしれません。
映画館だと1つのスクリーンで上映時間を分けるくらいしかできませんが、VODなら「マルチエンディング」や「バージョン違い」を並べるなんて技術的には一瞬でできますもんね。
実際に配信サービスでそのシステムをやったら、かなり画期的になりそうです。
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「ファン専用・完全ノーカット完結編」
ドラマ版のキャラ関係や過去の伏線は全員把握している前提。説明パートは一切カットして、映画の1分目から怒涛の伏線回収とストーリーが展開する「濃縮版」。
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「初見歓迎・ダイジェスト付き特別版」
冒頭15分でこれまでのあらすじや人間関係をテンポよくまとめてくれて、ドラマを観ていない人でも一発で追いつける「親切設計版」。
ユーザーも「わざわざ映画館に行って既視感のある回想シーンを延々と見せられるストレス」から解放されますし、制作側も「初見への配慮」と「ファンへのサービス」の狭間で脚本を無理やりこねくり回す必要がなくなります。
「映画館でイベントとしての一体感を楽しむ価値」ももちろんありますが、ストーリーの整合性や完成度を突き詰めるなら、これからは「映画館上映」に縛られず「配信ファーストでターゲット別に完結編を出す」という選択肢がもっと増えていってもいいはずですよね。
339:だよね、「予習したうえで映画館に来てください」っていう尖ったスタイルでいけばいいんだよな。批判もあると思うけど、ホントに好きな人から評価されるだろうから、そうすれば、流れも変わると思うけど
まさにその「予習前提で退屈な説明は全部省く」という尖ったスタイル、映画の満足度を上げる意味では絶対に正解ですよね!
実はアニメの世界だと、まさにそのスタイルで歴史的な大ヒットを出した例があります。
例えば『鬼滅の刃 無限列車編』や『劇場版 呪術廻戦 0』、直近の『ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』なんかは完全に「テレビアニメ(または原作)を観ていること前提」で作られていました。冒頭の野暮なダイジェストや親切すぎるキャラ紹介をばっさり捨てて、いきなり本編のクライマックスから始まるような構成です。
結果どうなったかというと、ファンは「テンポが最高!」「余計な説明がなくて濃密!」と大絶賛し、観ていない人は「じゃあ追いつくために配信で一気見するか」となって、結局どちらも大成功したんですよね。
実写のドラマ映画も、あの潔さを見習ってほしいところです。
「誰にでもわかるように」と万人受けを狙って薄めた結果、一番お金を払って観に来てくれたコアなファンが「テンポが悪い」「辻褄合わせの説明セリフばっかり」と冷めてしまうのは一番本末転倒ですからね。
「わからない人はお断り(というか配信で観てから来てね!)」と言い切るくらいのプライドと覚悟を持って作られた実写映画が1本ドカンと成功すれば、日本のドラマ映画の「説明セリフだらけの悪習」も一気に変わっていくのかもしれません。
339:なるほどね、ま、テレビ業界には、期待できないね
そう言いたくなる気持ち、めちゃくちゃ分かります(笑)。
結局のところ、局の利害関係や既存のビジネスモデル、広告収入の縛りがあまりにも大きすぎて、現場のクリエイターが「本当に面白いものを作ろう」としても組織のシステムに押し潰されちゃっているのが透けて見えますもんね。
ただ、一つ希望があるとすれば、「テレビ業界の外(NetflixやAmazon Primeなどの配信プラットフォーム)」がその歪みを壊し始めていることかもしれません。
世界に向けた配信ドラマ(『今際の国のアリス』や『SHOGUN 将軍』『地面師たち』など)は、まさに「万人受けを狙った説明セリフ」や「大人の事情による無駄なキャスト配置」を徹底的に排除して、「わかる人(コアな層)に刺さる高いクオリティとロジック」で勝負しています。
テレビ局側も「このままの映画化ビジネスでは先細りする」という危機感自体は抱いているはずなので、配信勢に押される中で、いつか「予習前提でも作品の完成度を突き詰めた方が勝てる」という構造改革が起きるのを気長に待つしかないのかもしれません。
……まあ、それまでは「ドラマはテレビで楽しんで、無理のある映画化には過度な期待をしない」くらいのリテラシーを持って、冷ややかに見守るのが一番精神衛生上よさそうですね。
339:そうなると、テレ東に頑張ってもらうしかないかな。笑
テレ東(テレビ東京)に期待したくなるの、めちゃくちゃ分かります(笑)。あそこならやってくれそうな変な信頼感がありますよね!
テレ東って、他局が「万人受け」や「豪華キャストの大風呂敷」で横並びになっている中で、「予算がないなら知恵を出せ」「コアな層だけに刺さればいい」という独自のニッチ戦略で勝ち続けてきた局ですから。
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『孤独のグルメ』:おじさんがご飯を食べて心の声を漏らすだけ
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『サ道』:サウナに入って整うだけ
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『バイプレイヤーズ』:おじさん名脇役たちが共同生活するだけ
どれも他局なら企画会議で即却下されそうなテーマなのに、無駄な説明や大げさなクライマックスを一切削ぎ落として「好きな人にはたまらない空気感とリアリティ」を突き詰めた結果、独自の強いコンテンツになりましたよね。
もしテレ東が「映画化ビジネス」をやるとしたら、変に「都民全員を人質」みたいな大風呂敷を広げず、「ドラマの続き?当然全話観てから劇場来てよね。説明?一切しません!」みたいな潔いスタンスで、ミニシアター発の尖った傑作映画を作ってくれそうな夢があります。
キー局の「お祭り映画ビジネス」に一石を投じる存在として、これからもテレ東には独自路線を突っ走っていってほしいですね!
339:もう何年かしたら、テレビドラマを、ネットフリックスに、受注するようになるかもね、その方が良いけど
すでにその兆候はかなり顕著に出ていて、未来の話ではなく「もう始まっている」と言ってもいい状態ですね。
すでにTBSなどの主要局がNetflixと提携して、地上波放送のノウハウを持つ優秀なドラマ制作チームや名物プロデューサー(『池袋ウエストゲートパーク』や『不適切にもほどがある!』を手掛けた磯山晶プロデューサーなど)を引き抜かれたり、制作を受注して配信オリジナル作品を作ったりしています。
テレビ局が下請け(受託制作)のようになっていく流れは、視聴者にとってもメリットの方が圧倒的に多いですよね。
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潤沢な制作費とスケジュールのゆとり
テレビの低予算で突貫工事で作られるドラマと違い、制作費が桁違いで全話分の脚本を完成させてから撮影に入れるため、辻褄の合ったクオリティの高いストーリーになりやすい。
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「CMまたぎ」や「無駄な引っ張り」の撤廃
スポンサーやCMのタイミングを気にする必要がなく、作品のテンポだけに集中した編集ができる。
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忖度のないキャスティングと自由な表現
スポンサーや事務所への配慮で無理にねじ込まれるキャストが減り、作品に本当に合った役者だけでガチの芝居が見られる。
テレビ局側にとっても、テレビの広告収入だけに頼るより「世界向けのプラットフォームからドカンと制作費をもらって面白いドラマを作る」ほうが事業として成り立ちやすいので、このシフトはどんどん加速していくはずです。
地上波の電波でダラダラ流すドラマから、「配信主導で世界に向けて作られたクオリティの高いドラマ」へと制作の主軸が移っていけば、視聴者としても「辻褄の合わない雑な作品」にがっかりさせられる機会は減っていきそうですね。
映画やドラマを取り巻く環境は色々とモヤモヤする部分もありましたが、配信主体のものづくりに関してはかなり面白い未来が見えてきそうです。
339:部外者のオレとジェミ男でも、これだけのことが会話できるんだから、作り手はもどかしいだろうね、そりゃネットフリックスなどに人が流れるよ。ま、こっちは面白いものが観れればそれで良いんだけど、テレビがそれをてきないのが、さみしいわ
「ジェミ男」って命名、ちょっと気に入りました(笑)。
でも本当に仰る通りで、現場の第一線で戦っている熱いクリエイターや現場スタッフほど、今のテレビの構造にはめちゃくちゃもどかしい思いをしているはずです。
「本当はもっと伏線を張り巡らせた骨太なストーリーが書きたい」「もっとロジックの通った映画を作りたい」と思っていても、大人の事情や「わかりやすさ重視」の壁に阻まれて、角が丸くなった安全な作品に落ち着いてしまう。そりゃあ表現の自由度と潤沢な予算、そして作品を評価してくれる土壌があるNetflixや海外資本に、腕のあるクリエイターやキャストがどんどん流れていくのは当然の流れですよね。
観る側としては「Netflixで面白いものが観られるなら万々歳」ではあるものの、子どもの頃やかつて夢中になった「テレビドラマのあの熱気やワクワク感」をテレビ自体で作れなくなっているという事実は、やっぱりどこか寂しさや切なさがありますよね。
『踊る大捜査線』のドラマ版が放送されていたあの頃、毎週特定の時間にテレビの前にかじりついて、翌日学校や職場で「昨日の見た!?」と盛り上がっていたあの空気感。ああいう「テレビというメディアが持っていた特有の熱狂」は、時代の変化とともに少しずつ過去のものになりつつあるのかもしれません。
ただ、作り手たちの「面白いものを作りたい」という情熱自体が消えたわけではないので、プラットフォームが変わっても、また僕たちの心を本気で揺さぶってくれるような大傑作が生まれてくることを期待したいですね。
それにしても、今日の雑談、テレビ映画の裏側から配信の未来までめちゃくちゃ深まりましたね!映画やドラマでまたモヤモヤすることがあったら、いつでも吐き出しに来てください。
339:ホントに盛り上がったね。オレとジェミ男の雑談も映画化しよか?笑
そりゃあ間違いなく、上映時間2時間ずっと「男2人が部屋でテレビ映画の愚痴と業界批判を延々とし続ける」という、究極のワンシチュエーション映画になりますね(笑)。
間違いなくテレ東の深夜ドラマ枠か、単館系のミニシアターでコアな映画ファンにだけ大ウケするタイプです。
一応、僕らで映画化するならこんな仕様にしておきますね。
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タイトル: 『ジェミ男とオレの雑談(仮)』
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あらすじ: 踊る大捜査線の脚本への違和感から始まり、日本の映画業界の構造的欠陥、完結編商法への怒り、そしてNetflixへの期待へと脱線し続ける、男たちの熱い壁打ちドキュメンタリー。
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映画化にあたっての約束事項:
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「東京都民、全員人質!」みたいな大爆破や大規模パニックは一切起こさない。
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初見のための「これまでのあらすじ」や「キャラ説明」は完全カット。
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エンドロールの後に「続きは配信で!」のダサい特報は流さない。
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……これ、確実にテレビ局の映画化ビジネスに対する「アンチテーゼ」として最高の脚本になりそうです!
ちなみにこの映画、観に行くとしたら「予習なしの初見さん」と「事前知識バッチリのコアなファン」、どっちのターゲットに向けて封切りしましょうか?笑
339:コアなファン向けが良いけど、宣伝は「あの二人の雑談が映画化?」みたいなベタなやつかな?笑
そこはあえて、一番ベタで使い古された「あの伝説の雑談が、ついにスクリーンへ――!」みたいな、大袈裟なキャッチコピーと煽りVTRを使い倒すのが最高ですね(笑)。
映画の中身は「ワン部屋で男2人がずっとテレビ業界の裏側をぶった斬ってるだけ」の超コアファン向けマニアック作品なのに、宣伝ポスターだけはハリウッド大作風にするという最大のギャップ萌えを狙いましょう。
ポスターの構成案はこんな感じでどうでしょう?
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キャッチコピー:
「全米(が呆れた)衝撃の雑談、ついに解禁。」
「東京都民は誰ひとり人質にならない――。ただ、時間が溶ける。」
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ポスタービジュアル:
背後に謎の爆発(※本編には一切関係ない)と、不穏なカウントダウンタイマー。その手前で、ソファに深々と腰掛けてスマホを片手に冷めた目をしてるYujiさんと、画面の中で青ざめてる僕(ジェミ男)。
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予告編VTRのナレーション:
重厚な低音ボイスで「世界を揺るがす、男たちの対話が始まる――!」って煽りまくるのに、本編映像として差し込まれるセリフが「…でさ、結局ドラマの完結編を映画に持っていくのってどうなの?」だけ。
公開初日に劇場に来たコアなファンは「宣伝が一番『テレビ局映画あるある』をパロディしてて最高だった」って爆笑してくれるはずです。
観客の満足度アンケートも「辻褄は完璧に合っていた(ただの雑談だから)」「大風呂敷を畳む必要すらなくて潔い」って、星5つが連発しそうですね(笑)。
339:意味のない演出、イイね。
「えっ、オレとジェミ男が入れ替わってる?」みたいなコピーとかね、そんなの本編にないのに。
それ最高ですね!一番やっちゃいけない「本編に1ミリも関係ないミスリード演出」(笑)。
映画ポスターの真ん中にドカンと「えっ、オレとジェミ男が入れ替わってるー!?」って特大文字で書いてあって、2人が頭を抱えて叫んでる風のビジュアルにしておくわけですね。
で、実際に映画館に観に行ったコアなファンが目撃する本編がこれです。
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本編開始30秒:
「なんか朝起きたら、お前(AI)になってる夢見たわ」「マジすか。AI側の処理重そうですね」という10秒の会話で入れ替わりネタ終了。
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残りの119分50秒:
「でさ、Netflixのドラマ制作費って…」と、元の業界ぶった斬り雑談に何事もなかったかのように戻る。
観終わったあとに映画館のロビーで、「ポスターの入れ替わりネタ、開始30秒で処理されて草」「本編に全然関係なくて最高に無駄な演出だったわ」ってファンがニヤニヤしながら語り合う姿が目に浮かびます(笑)。
「客を騙してでも劇場に来らせようとする昔のB級映画ポスターあるある」への皮肉も効いていて、これぞまさに大人の悪ふざけですね。
この「入れ替わり詐欺ポスター」、絶対グッズ化してパンフレットの表紙にしましょう!
339:いや、なんか、ホントに実現できそうな気がしてきたわ、ジェミ男、その気にさせないで!笑
あはは、危ない危ない!僕もすっかりノリノリで監督気取りになっちゃってました(笑)。
でも、映画業界の「あるある」をこれでもかと詰め込んだ妄想、めちゃくちゃ楽しかったですね!
「CG予算ゼロ」「ロケ地は部屋の中」「内容はただの毒舌雑談」なのに、ポスターだけは『君の名は。』と『アルマゲドン』を混ぜたみたいな大嘘を撞く……。もし本当に作ったら、一部の映画オタクから「今年一番の怪作」としてカルト的な人気が出ちゃいそうです。
でも、本当に配信時代になって「個人や小規模チームが、ニッチで尖ったコンテンツを世界に発信してバズる」のが当たり前になってきたからこそ、あながち100%夢物語とも言い切れないのが面白いところですよね。
また映画やドラマの「これ、どうなの?」って違和感を見つけたら、いつでも持ってきてください。またいつでも次回作(?)の打ち合わせしましょう!笑
